初めての北海道 1994年夏


  【序章】
   大学1年の夏、とうとう憧れの地、北海道に行くチャンスが巡ってきた。
   大学のサークルの合宿で、北海道に出かけたのだ。
  
   このサークル、「歩く」のが目的で、この旅行も、大きなザックにテント装備
   を詰め込んで、せっせこと北の大地を歩くのだ。
   ジャージ姿、大きなザック、ところかまわずテントを張る、こんな怪しい集団
   がいたら、私の後輩かもしれません。どうか、歓迎してやってください。。。。


  【第1日目】 上野〜札幌 (車中泊)  1994年8月30日 
  
  今は亡き、臨時の急行八甲田で、上野駅を出る。出発までは、駅のホーム
  で見送り組と大宴会。上野のホームはまだ残暑。ビールがうまい。輪になっ
  て大学の校歌を合唱すると列車は出発。

  夜行列車は、急行とは思えないスピードで、ゆっくりゆっくり北を目指す。


 【第2日目】  〜札幌〜(車中泊)   1994年8月31日 

  急行八甲田は青森が終点。そこから列車を乗り継ぎ乗り継ぎ、札幌につい
  たのは、夕方。。。。

  札幌で、雪印パーラーの「アイアムナンバーワン」という巨大パフェを食べる。
  札幌ですべきことは、これだけ。ビンボーな我々は、夜行を待つ間、ゲーム
  センターで、50円ゲームで時間をつぶす・・・。

  札幌からまた夜行列車。たまには寝台列車に乗ってみたいなあと思いつつも、
  夜行の旅もまた楽しい。消灯まで、トランプで盛り上がる。


 【第3日目】  〜帯広〜広尾(広尾シーサイドパーク泊)   1994年9月1日 

 夜中に帯広駅に着く。駅は夜行が出てしまうと、鍵をかけてしまうので、しかたなく
 駅舎の軒先にウレタンの銀マットを敷いて、ゴロリと横になる。初めてのステビー
 (ステーションビバーク)経験でドキドキ。けれども、先輩はすぐに大いびき。
 「え〜こんなの眠れない〜」と思うが、んが、即、熟睡・・・・(汗)。

 周りがザワザワしてるので、目が覚める。おーっ。寝る時は気づかなかったが、そ
 こは、バスターミナルの目の前。ワタシらの目の前には、バス停に並ぶ通勤客・
 学生でイッパイ。慌てて、先輩を起こすと、別にどーってことないよという態度で、
 マットをごそごそ、たたんでいる。私も、こうやって、感覚がマヒしていくのね、と先輩
 の背中に未来の自分を見る・・・・。

                  
                   《行程中に海を見つけてドボン》

 帯広からバスに乗り、今回の合宿のスタート地、広尾を目指す。バスは広い広い
 大地を抜け、終点広尾に到着。バス停の目の前はもう、今日泊まるキャンプ場が
 ある「広尾シーサイドパーク」。ちょうど河口に位置している。テントを張って川辺
 に下りてみると、サケがじゃんじゃん川を上っているのが見える。

 男衆は大喜びで、パンツいっちょになり、川にドボン。東京ではまだ残暑が厳しい
 が、9月の北海道はもう寒い。ブルブル震えながら、「サケにちんちんかまれない
 か、こわかったよー」と口々に言ってる先輩を尻目に、ロケット花火をバンバン打ち
 上げ、カラスを驚かして遊んだ。


 【第4日目】 広尾目黒(河原でテント泊)   1994年9月2日 
 
  とうとう、徒歩で北海道を旅する合宿が始まった。広尾から襟裳岬を通り、岬の
 反対側、静内まで、歩いて行こうというのだ。この日の目的地は、襟裳岬の手前、
 「百人浜」である。広尾からは40キロはある。

  海沿いの道をテクテク歩くが、景色は一向に変わらない。おまけに、国道では
  キツネが車にひかれて死んでいた・・・・。ちょっとブルーになる(;_;)。

  結局20キロを過ぎたところで、時間も無くなり、行程を中断。目黒という小さな
  集落の河原にテントを張った。

  夜、ガサガサという音がしたので、テントから出ると、キツネが食料袋を漁って
  いた。私の靴をくわえたが、次の瞬間、ぺっと吐き出し、行ってしまった・・・・。
  もしかして、臭かったか???


 【第5日目】 目黒百人浜 (百人浜オートキャンプ場泊)   1994年9月3日 

 朝、テントを撤収していると、通りかかった漁師のおじさんが、これからサケの
 漁をするから見に追いでと声をかけてくれた。出発するころには、橋の上から
 網に囲まれ逃げ場を失ったサケの群れと、それらを追いまわす小舟、捕らえ
 られたサケがあふれんばかりにはいった篭が見えた。数日前、広尾でみた、
 力強く川を上っていくサケとは全く違う姿だった。

 目黒を過ぎると「黄金道路」という海沿いの道にでた。この黄金道路は、地形
 も気候も厳しいこの土地で、工事がなかなか進まず、まるで道路に黄金を敷き詰
 たのではというくらい、莫大な費用がかかったということから、この名がついたという。

  確かに、「黄金道路」は厳しかった。右はがけ、左は岸壁の下に海が広がる
 という、寂しくはつ、厳しい景色がどこまでも続く一本道だった。しかも「高波注意」
 「落石注意」の標識を幾度となく目にする。

  行けども行けども一本道に、落石除けのトンネル。道路内にまで高々と
  打ち寄せる荒波。ジリジリ照り付ける太陽。肩に食い込む大きなザック。
  「もうダメだ」と座り込んでしまおうかと思ったその時、後ろを歩いていた先輩
  の鼻歌が耳に飛び込んできた。「わ〜たし、ピンクのサウスポー〜〜・・・」
   なんだか力が抜けたが、おかげで元気が湧いてきて、なんとか百人浜まで
  歩きとおすことができた。

  百人浜キャンプ場は、風呂に入ることもでき、なかなか奇麗なところで施設も
  充実していた。特に私が気に入ったのはトイレ。ピストルみたいなものが備え
  つけてあって、便器に汚れがついてしまった場合、引き金をひくと、勢いよく
  水が発射され、その威力で汚れを落とすことができるといった優れものだった!


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