トレッキング1日目(ゴラタベラ〜キャンジンゴンパ)      2003年12月30日(火)

ゴラタベラ〜ランタン
の中で最初に迎えた朝。「グッモ〜ニ〜〜ン」とノックの音。トレッキングの間はシェルパやポーター達が、温かいお茶を持って起こしに来てくれる。贅沢このうえない。

Kumaさんは高山病になってしまっていて、みんなと別れ、ポーター1人を連れ一度標高を下げ、調子が良くなれば再び追いかけてくるとのことで、残りのみんなでキャンジンゴンパを目指して出発する。Kumaさんが早く元気になりますように。

頭をダワが歩き、途中にリンジンが入り、ポーターと他のシェルパ(パッサンとペーメー)は後になったり先になったりしながら進む。途中、前夜の宿泊地でテントを張っていたパーティーを抜かす。彼らは私達の今日の行程を2日に分けて歩くそうだ。ツアーは体力も年齢も様々なメンバーが集るから大変そうだなぁ。ゴラタベラを出て、所々凍結している箇所を歩く。ダワが気をつかって歩き易いところを選んでくれる。まだ谷の中まで陽が差し込んでいないので寒い。少し歩くと軍隊がいるチェックポイントにさしかかる。パスポートナンバーや名前等を書かされる。兵隊は日本では見慣れないので妙に緊張してしまう。でも本当は彼らはマウイストから観光客を守る立場にあるのだ。

っかり体が冷えてからチェックポイントを通り過ぎ、馬(ロバ?)に乗った少年とすれ違ったり、おでこで大きな荷物を支えながら運ぶ人達(男女問わず)に抜かされたりしながらてくてく歩く。シャクナゲの木がたくさんあり、ダワやリンジンに木の名前をうるさいくらいに聞きながら歩くのも楽しい。谷に流れるランタン・コーラは陽があたらないうえ、雪も積もっていて本当に寒々しくて、おしんの一場面のようだ。途中、荷物を運んでいる女性たちとすれ違う。民族衣装がとても奇麗で写真に撮りたかったけれど、なにやら現地語で「写真を撮るならカネよこせ」と言ってたようなので関心のない振りをして通り過ぎた。ふーんだ。

初の町で休憩を取っていると、早くも高山病が治ったKumaさんが追いついてきた。標高を幾分下げただけで頭痛がピタリと止んだそうな。やっぱり面倒くさがらず少し山を下ってみるといいんだね。こんなにすぐに戻ってくるとは思わなかったのでビックリ。良かった〜〜。

が出てくると本当に暖かく、1枚また1枚と上着を脱ぐ。アップダウンもほとんどなく、ランタンの町が見えてくるところで休憩。ゴンパから鐘がなる音が聞こえる。実にのどか。斜面に立つトイレは今にも崩れ落ちそうでスリル満点。ランタンの町の手前にはガッチリとしたワイヤーが使われる立派な橋がかけられていた。

ンタンの町にはたくさんのロッジが立っている。パステルカラーを使った可愛らしい作りの建物も多い中、壁に奇麗な絵を描いている人がいた。帰り道、もう一度そこを通ったら、絵も完成していた


力で回るマニ車のある町、ランタンで昼食。陽射しが強く暑い暑い。手ぬぐいでほっかむりをしながらボケーっとする。パッサンはこの休憩中もウォークマンで音楽を聞いている。チェックのワークパンツに赤いダウンジャケットを着て他のネパリよりちょっとオシャレなパッサンも早くもワルぶりを発揮。とにかくスタッフがたくさんいるので、人間観察するだけでも面白い。

ランタン〜キャンジンゴンパ
ンタンの町で標高3,000メートル。そろそろちょっとした動作でも息苦しくなってくる。日本の山でも2500メートルを超すとそうだけど、日本の山のような急登がないから助かる。

ンタンの町を出ると、目の前に白い峰々が連なる開放的な風景が広がり気持ちが良い。マニ石が城壁のように延々続く小道をてくてく歩いて行く。マニ石の脇を歩く時はその左側を通らなくては行けない。これはストゥーパをお参りするときもそうで、左回り(時計回り)に歩くように気をつけた。マニ石には細かく経文が掘られていた。これだけの長い距離を積み上げられたマニ石。その労力はいかほどだったのだろうか。

高が上がり、快調な者、ペースダウンする者との差が出てきて列が伸びる。スーパーマリオに似てるロメスとおしゃべりしながら歩く。大丈夫?と聞かれたので、ゆっくり行くわ、と「ボルガノ〜フ」と答えると「ネパール語を勉強してるの?」と嬉しそう。これしか覚えてないのよー(^^;。目の前に現れた常念岳ちっくな山は「チャックリー」というらしい??あと、他にも山の名前をリンジンが教えてくれたけど、ことごとく忘れてしまう私達。すまんのー。

切れしながら最後の坂を登ると、眼下にキャンジンゴンパが見えた。メルヘンチックな外観のロッジが立ち並ぶ。日本では年末年始ともあれば、宿はいっぱいになるのだけれど、ここランタン谷ではハイカーの姿も少なく寂しい限りだ。それでも、今日のロッジには2人のハイカー+1人の日本人ハイカー+私達が泊まり賑やかだった。

屋に荷物をおき、高度順応のため、キャンジンリーの途中までを往復する。3950Mくらいまで登った。Ohさんは絶好調でそのままキャンジンリーの頂上まで行けそうな勢いだった。みんなでワラワラ賑やかに登るのは楽しい。ダワたちはちゃんとヘッドランプを持って登ってきてた。やっぱりプロなんだなあ。

の日の夕食はみんな元気がなくあまり食欲がわかないようだ。たくさん注文した当の本人Kumaさんも再び高山病の症状が出てきたよう。初めて食べたダルバードは、小豆みたいなものがたくさん入っていて、塩味がきき、とろみがあっておいしい。最初は「うっ、なんじゃこれ」だったけれど、お赤飯を思わせるダルにハマってしまった。おいし〜〜!と2杯食べちゃった。げっぷ。

食後、体調の悪い人達は早々に床に着く。さよちゃんは咳が出て苦しそうだ。残ったメンバーで薪ストーブの周りを囲む。仕事を終えたみんなも集りだす。テルミさんがネパール語会話の本を取り出し、自己紹介を始める。「あなたの名前は?」は「タパインコ ナム ケ ホ?」で、「メロ ナム JO ホ」といった調子。ネパール語は、主語・述語の順番が日本語と同じだからとっつき易いというがやっぱり純粋な暗記をするしかない。ナムはnameと似てるっていえば似てる。ここで、パッサンと同い年ということが判明。握手をする(^o^)。名前が分かると親近感もわくし仲良くなれるよね。テルミさんがいなかったら最後までただのお客、ポーター・シェルパの関係でしかなかったかもしれないね。テルミさんには大感謝です。

宿になった日本人の女の子と話していると、彼女は千葉県民だということが分かる。テルミさんやせっちゃんとはかなりご近所さん。世の中狭いわぁ。彼女はネパールは6回目とのことで、ネパール語もけっこう話せるようだ。本当は友達と来るつもりだったみたいだけど、友達が飛行機の予約が取れなくて一人でくることになったようだ。行動力のある彼女がうらやましい。彼女はチャックリーへ登るか迷っていたものの、翌朝「行けるところまで」ということで出かけて行った。シャベルベンシでもう1度顔を合わせた。最後まで行けたか聞いたが忘れてしまった(汗)けど、元気な顔を見れて嬉しかったし、「今度は、千葉でお会いしましょう」と笑顔でさっそうと歩いていった姿はカッコいいと思った。


ャンジンゴンパでは、前夜ほどの冷え込みはなかった。トイレに起きた時、月が明るかったけれど星が奇麗に見え、ちょうどオリオン座のあたりに流れ星を見つけた。3時間15分の時差のネパール。ここで見えている月は日本でも見えているんだろうなあと思うと同時に、日本に帰ってもネパリと同じ月や星を見ることができるんだとしみじみ思ってしまった。

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