JOファミリー ハワイへ行く!

2001年9月

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〜まさかの延泊〜

一本の電話

 
とうとう、帰国する日がやってきました。昼前の便で日本に帰るのです。
朝食で部屋を空けている間に、ポーターが荷物を取りにくるはずだった
のだけれど、部屋に戻ってもポーターが来る雰囲気はありません。

さほど気にせずにいたところ、内線電話がかかってきました。
父が電話に出ると、緊張した声の添乗員さんが「テレビはもう
ご覧になりましたか」と言います。

慌てて、テレビをつけると、ニュースで信じられない光景を目の当たり
にしました。そう、ニューヨークでのテロ事件の勃発です。

ホノルル空港も閉鎖されてしまいました。いつ飛行機が運行される
かの見込みも全くわかりません」

台風で欠航になったのならば、翌日か翌々日には帰れるでしょう。
けれども、ニュースを見れば見るほど、大変なことになったという
ことが段々とわかる一方で、帰れる日がいつになるかが、どんどん
分からなくなっていきます。
「エライことになったねぇ・・・」。不安そうにJOママがつぶやきます。
 

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ダイヤモンドヘッドへ


午前中は、いつ状況が変わるか分からないということで、
ホテル待機となりました。部屋でニュースを見ていると、
自分の身に起こったことは、実に小さなことなのだと思います

国境を自由に越えられないということがどんなことなのかを
身をもって知らしめられたような気がします。

午後になり、ロビーに再集合。やはりその日は帰れない
ことが添乗員から告げられます。
会社を休まなければいけないことが、この時点で決定
したので、国際電話をかけに行くと、なかなか日本へは
繋がりません。このあと延泊した3日間とも同じような状態でした。



部屋でもんもんとしていても気持ちが沈む一方なので、以前から
気になっていたダイヤモンド・ヘッド登山へ両親を誘ってみました。

心配性の母は「とてもそんな気になれない」と部屋で待って
いると言います。ガイドブックの写真を見せると父はノリノリ(^^)。
今は、父は体を壊して山に行けなくなってしまいましたが、もとは
屋久島や越後駒なんかにも出かけたこともある元・山男なのです。

こうして親子二人で、ABCストアで3ドルの懐中電灯を
調達し、ダイヤモンドヘッドを目指しました。

ダイヤモンドヘッド登山の報告はこちら


ゴツゴツした登山道


ホノルルが一望できる


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さすがに凹むJOファミリー


 延泊2日目。この日も飛行機は飛びませんでした(涙)。
さすがに、この日は私もどこかに行こうという元気は出ません。
とほほ・・・。

ということで、この日はホテルでフテ寝・・・。
時折起きては、辞書をひきながらニュースを見たりしていました。



延泊3日目。飛行機が動くかも!という朗報が飛び込んできました。
けれども、飛行機に乗れる権利は、ファーストクラスやビジネスクラス、
それから正規料金でチケットを買っている人達のほうが優先される
とのこと・・・。安いツアーで来てた私たちは、結局、乗れずしまい。

んが、この日は、元気復活。
母もなんとか気分を持ち直し、親子3人でホノルル動物園へ行きました。
雰囲気は上野動物園に似ていますが、緑豊かで、都会にあるとは
思えないほど静かでした。やたらに暑いので、帽子は必需品です。

 
ホノルル動物園
 

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帰 国


私達は乗れなかったものの、延泊3日目には日本へ飛ぶ飛行機は
動き始めていました。大手の旅行会社のツアーに参加していたこと、
空港閉鎖の初日に帰国する予定だったことで、延泊4日目には
帰れる可能性が高まってきていました。

けれども、ようやくアメリカ本土で動き始めた飛行機に搭乗しようとした
テロリストが逮捕される事件が再び発生し、またもやホノルル空港が閉鎖
されてしまったのです。ホテルでバッタリ会った添乗員さんは、もう涙目。
気分が沈みがちのツアーのお客さんを励ましつつも、やっぱり不安で
いっぱいだったのでしょうね。別のツアーでは、苛立ったツアー参加者
が、添乗員を怒鳴りつけるという一幕もあったようです。

9月いっぱいは日本へ帰れないのではという見解もあったようですが、
延泊4日目、思いのほか早く空港がOPENし、やっとこさ私達も帰れ
ることになりました。

空港は、予想通り大混雑。チケットを取れない人が泊まりこんでいたり
厳重なセキュリティチェックに並ぶ列が、ものすごい長さになっていたり。
やっと帰れるという嬉しさはあったものの、ただならぬ緊張感に包まれた
空港の雰囲気にのまれ、私も心から喜べませんでした。

飛行機の中では、なんとなく寝付けなく、ほとんど起きたまま。
眠気が襲ってきたのは無事着陸し、成田空港から家へ向かう
車の中。ええ、私がドライバーだったんですけどね(^_^;)。

#もちろん、バックミラーを見ると爆睡してる父の頭が
写っていたのでした。くくく・・・。



こうして、思わぬオマケのついたJO一家の海外旅行は
無事幕を閉じました。

今回、一番心配だったのが持病のある父の体のこと。
普段飲んでいる薬の残りの量がとにかく気になり、
日本でのかかりつけのお医者さんから、普段処方して
もらっている薬の一覧をFAXしてもらったりと、薬がなくなる
まで滞在することになった時に備え、延泊している間、
少しずつ準備をしていました。

日本の処方箋は薬の商品名で書かれていることが多い
ので、普段飲んでいる薬の名をハワイのお医者さんに伝えても、
それがアメリカのどの薬にあたるのかはっきりせず、
てこずりました。こんな時は、英訳された「病状経過診断書」を
作成してもらっていると、スムーズに行くそうです。
有料で医学専門翻訳者による病状経過診断書を作成
するサービスを行っているところもあるようです。



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